貧困、毒親育ち、高卒。まるで万引き家族のような私たちの生活には良くも悪くも「ただなんとなく」が多い・・・。
本記事の本命として、記事の終わりにnoteで作っている「囲碁入門ー初めてでもわかる入門の入門ー」を紹介します。
目次:
私は貧困家庭に育つ子どもでした
親も「ただなんとなく」生きてきて、私たち子ども自然の流れで「ただなんとなく」生きて行きます。貧困の連鎖というやつです。
私たちの人生の選択は「ただなんとなく」が大半を占めています。
そんな貧困・毒親育ち・高卒の私が、囲碁に出会って感じることについて書きます。
貧困家庭に育つ子どもに、放課後、囲碁教室を提供したとしたら、子どもたちの人生は変わっていくだろうかなどと妄想したりします。
「ただなんとなく」で生きてきて、考える力の基礎すら持たない状態で社会に出るととても困ります。
もしくは、周囲を困らせたり大変な迷惑をかけたりする輩になりかねないです。
気付いた時にはもう遅い、という感じです。
もしも子どものうちに囲碁を習っていたら・・・私の人生の困難はもう少し減っていただろうか、なんて考えてしまうのです。
消費する娯楽しか持たない「ただなんとなく」の人たち
買い物する、デートする、巨大ショッピングモールで映画観る、課金ゲームする。
これらは、「ただなんとなく」の人たちが支持する娯楽です。
困ることに、このような消費し続ける娯楽のみしか持たないのです。
子どものうちから大人になるまで、勉強することもないし、何か深く考えることもないし、一向に考える力を身に着ける機会がやって来ないのです。
私たちのような子どもが大人になると、どんな困ったことになると思いますか。
「ただなんとなく」の人たちは、社会に出て困難を抱えたときに、その困難を解決しようと模索することさえも放棄してしまうことが珍しくありません。
やがて年を重ねていい大人になりますと、新しい考え方や価値観を受け付けられなくなるため、ますます厄介です。
解決策を探さないどころか、周囲の善意の助けも拒むようになってしまうのです。
助けたくても助けようがない・・・もう本当に目も当てられないです。
碁を打つことは、物事を考える基礎作りの大きな助けになると私は感じています。
実のところ、囲碁でなくても良いのですが、私がたまたま囲碁が習っていて「これはいいな」と思うので囲碁をおすすめしています。
囲碁というのは
囲碁というのはシンプルなゲームです。
黒→白→黒→白と交互に石を置き、陣地の獲得争いをします。交互に石を置くだけです。
自分の陣地を広げるのか、自分の陣地を強固にするのか。はたまた、相手の陣地を奪うのか、まずは相手にプレッシャーをかけるだけなのか、喧嘩をふっかけるか、あるいは一旦様子を見るのか・・・。
「石を置くだけ」なのですが「どういう意図で石を置くのか」ということを自由に考えて決断します。ここが難しいところでもあり、同時に代えがたい楽しみでもあるのです。
「ただなんとなく」がない
もう私の言いたいことをおわかりですね。
そうです。囲碁には《ただなんとなく》がないのです。
もちろん、積み重ねた経験から「カン」が身に着くと、それは「なんとなく」に近い感覚なのでしょうけれど、私たちの何も知らない何も考えない《ただなんとなく》とはあまりにも質が違います。
囲碁のめくるめく思考の世界について、noteの記事より一部紹介します。
☆優先順位を考える(攻めるのか、守るのか、様子を見るのか等)
☆どこを自分の陣地にしていくか、盤上の空間を捉える
☆最善の手を探し、決断する
囲碁は考える力を養う助けになると感じます。
子どもの頃、私は「ヒカルの碁」という漫画が好きでした。
だいぶ大人になってから、ヒカルの碁の感動を追うように私は囲碁を始めました。
ただ今、入門中です。
noteの紹介
noteでかんたんな入門マガジンを作っています。
「囲碁って何しているの?どういう勝ち負けなわけ?」という基本の部分から入ります。
関連記事ー貧困家庭の話
貧困家庭に生きる人たちがどんなふうに暮らしているか、という記事も書いています。その中から2つの記事を紹介します。
他にもご興味ありましたら、「発達障害の当事者と家族」というカテゴリを付けていますので記事カテゴリよりご覧ください。