「考えない」ことが適切な医療を受けられないという深刻な問題に繋がるため、事例を用いて反面教師となる記事を書きたいと思います。高卒の全ての方に当てはまることではないのですが、少なからず困っておられる方がいるのではないかと思うので書くことにしました。
私も、私の両親も親族も高卒です。性格は三者三様ですが、私自身も含めて特有の傾向というのがあると思っています。
目次:
選択肢を持たない患者
私の身内の話です。分野の異なる2つの治療が同時並行で進んでいたときのことです。一方の治療は、本人とって「恥ずかしい」と感じるもので他人に言いたくないそうです。
ですが、もう一方の治療に多少関わりのあることなので、医師だけには治療の経過を伝えた方が良いのです。ここで身内の取った行動は、「言いたくないから、伝えない」というこです。
「伝えない」理由が「言いたくない」の一点なのです。
私は下記のことを心配しました。(A)
▼治療の経過によって薬の処方など、診断が変わる可能性があるではないか。
▼自分にっとて一番良い治療を受ける機会を、みすみす棄てて良いのか。
大きな問題は「伝えない」と判断する過程で、上記の点について本人が全く考慮していなかったことです。理由は単純に「そこまで考えたことがなかった」からです。
本人は良い治療を受けたいにも係らず、考えが及ばないために損な選択をしてしまっている可能性があります。そのことに本人は気づいていません。
「言いたくないから、伝えない」という行動の結果に(A)のような懸念が残ることを含めて、自分の意思なら致し方ないのですが、この事例はそういうケースではありません。
意識の低すぎる患者
患者側にもできることがあると思うのですが、当の本人はどこか他力本願な様子が見られるました。
私が指摘したのは下記のことです。
▼患者にできることは自分の症状や気になる症状を「医師に伝える」、「処方通りに薬を服用する」こと。
▼上記をせずに、ただ漫然と通院して「先生が治してくれる」ことはあり得ない。患者側の協力は必要不可欠である。
困ったことに「症状を正しく伝えない」うえに「薬の服用を忘れがち」なのです。
患者としての意識が低い状態かなと思います。他力本願ですので、治療がうまくいかないと「先生が悪い」と他責になってしまい、自分にも原因があることに考えが及ばないのです。
※追記:あるいは、「どうせ自分は治らない」という自己嫌悪に陥り、治療を諦めてしまおうとすることもあります。患者としてできることをやっているかどうか、一人で省みることは大変難しいです。諦める方が楽だと思ってしまうのかもしれません・・・。
他責や自己嫌悪で治療を投げ出そうとする患者に向き合うことは忍耐が不可欠です。相手が子どもだと思いながらも、必要な礼を尽くして、心を砕いて向き合うことが必要です。そのためにも、やはり自分の心を余裕を作る必要があると思います。
学歴のことを書いた理由
全ての高卒の方とは言いませんが、多くの場合、私自身もそうですが行動の結果を考えずに動いてしまったり、衝動的な行動というのが多い傾向にあると思います。物事の一面しか見ないとか、他の面を想像できなかったりします。
ほぼ漏れなく貧困家庭だと思います。
そうした親に育てられた子供は、成長の過程でやはり親と同じような傾向を身に着けていきます。あるいは、例えば「行動の結果を考えることを知らない」とも言えるかもしれません。
自分自身を振り返ってみても思うのですが大抵「そこまで考えていない」ということが多々あります。
究極の不本意は【貧困で考える力の弱い家庭で生まれ育つことを、当の本人は望んでいない】ということです。
これをご覧になっている方で、ご自身に思い当たる節のある方はいらっしゃるでしょうか。
生育環境を変えることができませんが、自分を変えることはできると思います。いろんな考え方を知るために、月並みですが「本を読む」と良いです。
慣れないうちは、最初はなかなか文章が頭に入ってこないこともあると思うのですが、食らいついてみてほしいと思います。
学校や社会の役割
学校に第三者を招いてこういった生きていくのに必要な考える力について授業をしてくれたら良いのにな、と思うのですが現実的ではないでしょうか・・・。
私が見る限り、家庭が家庭の役割を果たしていない機能不全家庭、貧困というのは、ほぼほぼ連鎖していると思います。
悲しいことです。